1.人物画へのアプローチ(1)

・序

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この本では、まず初めの章で他の本とは異なるアプローチを行います。それは人体画を描くことの前奏としてであり、また後に構成してく人体の構造のための基礎を敷くためです。この本の第1パートは、レイアウトや絵を描くときの、モデルやコピーなしで人体を描かれなければならないアクションやポーズのアイディアや提案のセッティングのラフ画や初めのスケッチに特別な価値を持つでしょう。言い換えれば、これは将来のクライアントに自分を売り込むためのワークでもあるのです。この側面から見ると、機会を作るのでそれがもっとも重要と言えるでしょう。このワークを賢くこなせば、いつか実際に仕事を手に入れても遠近法や空間の使い方などで新しく問題が生じて戸惑うこともないでしょう。
読者の皆さんは最大の関心をこの章によせるよう掻き立てられています。なぜなら、疑問を挟む余地なくもっとも重要な章であり、これに関わる集中した努力はよい実りとなって還って来るからです。

 

・ 人体画へのアプローチ

(21〜)

始まりとして、人体画をかけるような人が得る広大な範囲に渡る機会について記しましょう。新聞上のコミックやシンプルな線による絵から始まり、それはあらゆる種類のポスターやディスプレイ、雑誌広告、本の表紙やイラスト、ファインアートや肖像画、彫像に壁面アートなど、広大に広がっています。人体画の技術は、”この事実と組み合わさった”芸術への努力を得ることが大きなアドバンテージであるという見地から、最も広大な機会をプレゼントしてくれます。何故ならこれら様々な分野が用いる手法は、相互に関係しており、ある一つのことでの成功は別の事での成功をほとんど保証するのです。
こういった技術の効用の相互関係は、全ての図形描画にはあらゆる用途に応用できる基礎技術がベースになっていることに去来します。これは人体を描く事において良い技術を持っている人が絵のお仕事を安定して得ることにより素晴らしいアドバンテージをもたらします。ええ、絵のお仕事は安定して得られるでしょう、何故なら、その良い技術を持っている人の仕事は、財政破綻でも起きない限り常に回転する売買のサイクルの上にとても沢山の結びつきを持つからです。あるものを売るためには宣伝が必要で、宣伝をするなら広告のための場所、空間が必要で、広告の場所には魅力的なイラストの雑誌、ビルボード等のメディアが必要です。なので、アーティストとしての技能を繋げていくことを始めましょう。これは必須なのです。
何よりも先ず、このことは様々な芸術への努力の中でももっとも君を魅了するでしょう。何故なら、それは君にとって、無限の種類で、包括的で、ずっと新鮮で刺激的であり続けるからです。人の人生という側面から、表現、感情、仕草、環境、キャラクターの相互関係の全てを扱います。こんなにも様々な興味と単調で退屈な何かからの真の救済をもたらしてくれる努力の領域が他にあるでしょうか?私は、君の中に一度目的地に着けばオールオッケーという自信を着けてもらうために話しています;君の本当の興味はその旅路を行くことにあります。
芸術、その最も広大な感性は、他のものではそれ以上表せない言語でありメッセージです。それはその作品がどのように見える化、どう用いることが出来るかを語りかけます。それは服を、そして当時の慣習すら映し出します。戦争時のポスターの中でそれは私たちに行動を起こすよう語りかけます。雑誌の中でそれはキャラクターを鮮明に活きているように描きます。それはアイデアを可視化し、それによりレンガを積む前に完成図を眼前に移すことが出来ます。
アーティストが剥き出しの屋根裏に理想のために隠居し引き上げた頃もありました。題材としてはお盆の上のりんごで事足りました。しかし、今日では、芸術は私達の生活の一部となり、成功しているアーティストは自分自身を芸術から分離することは出来ません。明確な習慣の中で、明確な目的のために、ちゃんと締め切りを持って仕事をしているに違いありません。

 

・周囲を観察しよう

一度、人々に新しい関心を向け始めてみましょう。いろんな場所の典型的な人の特徴を観察しましょう。見分けるためにそういった特徴性と細部に親しみ理解しましょう。光と影と色の形状の文脈で表現される傲慢とは?苛立ちや絶望を与える線とは?その感情にはどんな仕草が伴う?子供の表情を愛おしく、ある種の大人の表情に疑いや信頼を感じるのは何故?これらの問に答えを探し、明確に説明できるようになるべきです。これらの知識はそして君の一部となりますが、観察と理解によってのみ得られるのです。
周囲を注意深く観察する癖を身につけましょう。いつか、同様の空間を書きたいと思う時が来るでしょう。その空間の背景を構成する要素を描けずして、それを完全に表現することはできません。なので、その”空間”へのセッティングを与えてくれる自分が観察した詳細な知見をファイルに集め始めましょう。

(22〜)
明確なデティールを観察することを学びましょう。マーサの髪飾りよりも気をつけるべきです。マーサが、フォーマルなガウンの時とショーツとスラックスだけの時とでなぜとてもきっかり見た目が違うのでしょうか?彼女のドレスのすその折り目は、座った時に床にどのように広がるのでしょうか?
感情を表現する表情と動きをしっかり見ましょう。女の子は「とてもすごいわ!」と思った時に手でどんな動きをしますか?または「ああ、たいくつ!」と思った時に椅子の下で足はどんな動きをしますか?医者に「もう望みはないのですか?」と聞く母親や、「とってもすごい!」という時の子供はどんな表情を浮かべていますか?良い絵を描くには、ただの技術以上のものが必要なのです。
ほぼすべての成功している芸術家は、特定のものに関心や衝動、情熱を向けていて、それは彼等に技術をもたらしています。それはたいてい、人生のあるタイミングで吸収したものです。例えばハロルド・フォン・シュミットは、屋外の景色や廃墟となった家、開拓者、演劇や動きを愛していました。彼の作品は彼の中の炎のような吐息なのです。ハリー・アンダーソンは素朴なアメリカの人々…昔の家庭医や小さな白い家を愛し、偉大な肖像画家のノーマン・ロックウェルは、長い間働いてきた人の、節くれだって皺だらけの、そして良い生活へ導いてきたその手を愛していました。彼の優しさと人間世へ向けられた共感的な態度は、彼の素晴らしい技術と共に彼を芸術の世界での成功を支えました。ジョン・ウィットコムやアル・パーカーは痛烈に胸を打ちかつ時勢にあった方法でアメリカの若者を描いたからこそトップに立てたのです。クラーク兄弟は昔の西部や開拓時代の風景を描くことを愛していて、そのことで最も成功しています。マウド・ファンジェルは赤ちゃんを愛し、描きました。これらの人々は、こういった内なる情動が無ければ頂点に立つことは不可能であったでしょう、いや、それらを描くことすら出来なかったでしょう。
私は皆さんに、バックグラウンドを得るために成功しているアーティストを手助けする人になることを強くは勧めません。これはたいていがっかりする経験になります。何故なら、継続して君のつつましい結果と雇い手の傑出したパフォーマンスとを比べることになるからです。君は君自身について考えず、観察しません。君は夢ばかり見て、劣等感を育て、ただの模倣者になっています。忘れてはなりません:アーティストは嫉妬で守られたプロフェッショナルの秘密など持っていません。私はこれまで何度「上手い人がどうやって描いてるのか観ることが出来さえすれば、自分はもっと先に向かえるにちがいない」と言うのを聞いたことでしょう。唯一の謎(といっていい何か)は、それぞれの芸術家自身の解釈・理解です。彼等自身も自分の技術の「秘密」の中身なんて知りません。他の人が描いてるのを見ただけでは絶対にマスターすべき基礎なんて身につけられません。君自身で、それをしっかり考えて身につけなければならないのです。
どんなタイプの絵に集中して取り組もうか決める前に、君自身の特別なバックグラウンドについて考慮してみるのが賢いでしょう。単純な例えですが、もし君が農場で育ったなら、君はロングアイランドで社会的に成功するより農場での人生の方が思い描きやすいでしょう。これまでの人生で、日々親しんできたものから得た知識を無視してはなりません。私たちは皆、これまでの人生での、退屈でありふれているように感じる経験を過小評価する傾向があります。これは重大な過ちです。バックグラウンドがない、ということは芸術のために必要な様々なことが荒れ地同然ということです。貧しさの中で育ったアーティストは、ボロボロの小屋を描く時、他のアーティストが凝ったゴージャスなものを描くのと同じように美しく描くことが出来ます。実際問題、そのアーティストは人生についてより多くのことを知っていて、彼の作品はより多くの人を惹きつけるでしょう。今日、「アメリカンセンス」にとても多くの関心が集まっています。シンプルな適時性がその一般的な基本です。しかし、私達の広告や殆どのイラストレーションは、洗練され、スマートであることを求められています。しかしこの新しいトレンドを胸においておくのが賢いでしょう。何故ならこれは、そのテーマについてのバックグラウンドを持たないことがハンディキャップになりません。

(23〜)

殆どのアーティストは、求められるあらゆる題材に取り組めるように絶対なっていなければなりません。しかし徐々にそれぞれが最も上手く出来る種類を選んでいくのです。もし君が特定の種類の絵のみの絵師として分類されたくないのであれば、より大きな視野を得られるように励まなければなりません。これは、多様な種類の技法の重要なメゾット(その全ては比率や三次元での見方、テクスチャ、色、光そして影を含みます)を学ぶということです。そうすれば静物や動物、特定の種類のテクスチャ(サテンやウール織物)を描くときに打ちのめされずにすみます。観察することを学んで入れば、そういったものを描こうとするときに君自身の技術のキャパシティが負担になってくることはないでしょう。何故なら、何かを描こうとするということは、必ずそれにどう光がさしているのか、その光が明るさや色にどう影響しているか、がベースになっているからです。さらに、観察するということは、描いたことのないものをどうやって描くか、ということに役立つ分析をいつでもしていることになります。殆どのアーティストは、実際に絵を描くために適切なデータを得るために可能な限り時間を割きます。
お絵かきの最も重要なポイントはやり方が違っても同じです。一般的な線画には、絵の具で描くときに重要とされる題材の明るさ、エッジ、面の質感は必要とされてないと言われてることでしょう。しかし、どんなジャンルでも、アーティストは同じ問題に直面します。地平線と視点です。長さ、幅、厚さ(フラットな面が描けるかぎりね)をセットしなくてはなりません。それを考慮しなければなりません。つまり、私がこの本でお話する要素です。

 

・基礎としてのヌード

ヌードの人体は間違いなくあらゆる種類の人体画のベースとなってくれます。服や布をまとった人体を、その下にある人の体の形状や構造の知識無くして描くことは不可能です。人体を適切に配置できないアーティストは、製図工としても絵師としても千に一つも成功できないでしょう。解剖学を学ばずとして外科医になろうとするようなものです。もし神が生きるためにくださった人体を見て怒りを覚えるなら、この本を閉じて、あらゆる芸術の道を諦めなさい。私達は皆男か女どっちかで、人体は2つの性で構造も外見も非常に異なるので、(スラックス姿の女性はズボン姿の男性ではない、たとえ髪がショートカットであっても)、多くの違いを区別するわけではない人体画の勉強を考えだすことは素敵なことです。私はこれまでほぼすべての種類の商業アートに関わってきましたが、その経験からもヌードの練習は不可欠です。それはあらゆる種類の芸術のキャリアに必要とされます。このことについての学びがない(アートの)職業コースは嘆かわしくも時間の無駄です。人間のモデルを使う美術教室は生きているモデルを使います。したがって、題材として役立つ絵を提供したいと思います。

 

・線とは何か?

おおまかに言って、二種類のお絵かきがあります。平面画(liner drawing)と固体画(訳注:solid drawing、形状や重心、解剖学など、三次元的な見方を意識して描くこと。)です。平面画(例えば間取り図など)はデザインとスケールを含みます。固体画は紙やキャンバスの平面に三次元的な質感を作り出すことを目的とします。前者は光と影を意識しません。後者はその中の全てで考慮します。しかしながら、光と影無しで、対象の面とアウトラインを描きその体積の存在を示すことが可能です。なので、平面的な図から始めるのが合理的です。比率から入り、面から円へ、そして空間の中の物体又は光と影で示されるものへと続けていきましょう。
人間の目は、物体のもつ造形よりもその輪郭やエッジからの方がずっと容易にその物体を知覚します。そもそも物体の形状に輪郭なんて無いのに、です。その物体の形状全体の輪郭のシルエットがある視点からみえるものとして存在します。どうにかしてそれを必然的にリミットする必要があります。なので、線をその物体のアウトラインとして描きます。アウトラインは、光と影と組み合わせて描くことが出来ますが間違いなく平面画に属するものです。絵の具などで描く場合はアウトラインは排されます。何故なら物質の違いで輪郭を示したり明度の助けによって形状を構成できるからです。

(24〜)
輪郭(contour)と線(line)の違いを理解しなければなりません。ワイヤーの断片が線を表します。そのエッジは形状の端(立体のエッジ)か丸く周りに物体がない境界(球の輪郭)であることでしょう。多くの輪郭は、起伏のある地形の風景のようにそれぞれの全面を走ります。線での図形描画は、風景画であっても、はっきりしたの形状のエフェクトにするために短縮することが求められます。曲がったワイヤーで図のアウトラインをとり、はっきりした形状を描き出すことは不可能です。二種類の線を探しましょう:流れるような線と、リズミカルな線です。形状に合わせてウェーブし、加えて、安定さと構造のため、直線と角度のある線が対比されています。
線には無限のバラエティがあることもあれば、非常に単調なこともあります。君が曲がった線を書くことから始めたとしても、その絵は完全に単調なものとはみなさなくてもいいでしょう。線の重さで違いを出せます。輪郭線を描く時、明るいエリアの近くなら軽い線を使えますし線ごとオミットすることさえ出来ます。又は暗く、濃いエリアの輪郭線を描く時、より重く力強い線を使えます。最も細い線で描くことは、独創的で表現に富むものとなりうるでしょう。
鉛筆をとり、紙の上に滑らせ始めましょう。それは「自由」で「リズミカル」な線です。今、親指と人差指で軽く鉛筆をはさみ、軽く又はデリケートに描いてみましょう。そして君が望むままに押し付けましょう。それが「可変の」線です。まっすぐな線を引けるか、それに平行別の線をひけるか試してみましょう。それが君の「学んだ」線です。
もし君が線をただの記号だと思っているなら、線というものがそれ自体沢山のバリエーションを持ち、これからさきずっと気にし続けるものであるというのは大事な啓示となったことでしょう。君のお絵かきが退屈なもののとき、線はそれを覆すということを覚えておきなさい。君自身の個性をそう言った線で表現することを始めましょう。


さあ、人体画です。理想的な人体の高さと幅の関係性とは?まっすぐ立った姿の理想的な人体はある種の長方形の中にヒットします。その長方形とは?26ページの絵を見てください。最も単純で最も便利な人体を測る単位は頭です。普通の人は理想より頭半分分体が短く、8頭身ではなく7.5頭身です。八頭身を全体的な指標にする必要はないです。君が理想的な人物を描こうとすると、どんな体型でもたいてい高身長になることでしょう。28,29ページに様々な頭身の体型のバリエーションがあります。どんなときでも特定の問題に適した比率に変えられることを記しておきましょう。意識してあるいは無意識に人を書く時毎回使えるようになるためそれらを2,3度慎重に学んで描きましょう。足を実際よりも長く描くのを好む絵師もいます。しかし、足先が視点から斜めに見えるのであればそれは十分に長く見えるのでその描き方がだいたいあってるでしょう。
特筆すべきことは、ほとんどのビギナーズワークは似通っているということです。分析してみると、ここで言及すべき特徴がみつかりました。このリストを君自身の作品と見比べて、その改善に適応できるポイントがないか見てみることを勧めます。