1.人物画へのアプローチ(5-マネキン図からはじめよう-1)
Loomisの本についてとセルフ翻訳プロジェクト - エムフネ御殿
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マネキンのフレームから描き始めましょう
最初の問題:体重はどのように掛けられていますか?
全ての人体の動きは、その体の体重の分かれ方、掛け方にもとづいてなければなりません。
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マネキンのフレームからみる動き
いきいきとした動きを描くために、がんばって描いていきましょう
これらは「静止した中心軸」です
重力の中心を感じるように心がけてください。体重を△の中心に配置しましょう。沢山練習しましょう。
これらは「動いている中心軸」です
バランスのメインラインは動きの向きに併せて傾いていなければなりません。
カーブしたラインによって動きと優美さを描きます。直角は避けましょう。
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マネキンのフレームの詳細
このモデルについて学び、費やした時間は大きなリターンを生みます。カレについてのすべてを学びましょう。
四肢を描くときは、決して硬く真っ直ぐにせず、また弾性をもたせましょう。
これは実際のフレームのシンプル化バージョンです。スタートのために必要な。
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マネキンフレームでの練習
沢山練習しましょう。思い出しておいてください、あなたの描く絵の動きは、モデルがどうあるかよりもあなたがどう感じているかに由来します。
すぐにあなた自身を表現する方法について学びます。生き生きとした表現はここでは現実性よりもずっと大事です。
このタイプの骨格の絵はラフ、レイアウト、構図の設計に使えます。
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立体に関連付けられたアウトライン
A.隣接した三面にそれぞれ円のアウトラインが描かれてると考えてみましょう。
すべての立体は三次元的に横幅、縦幅、奥行きの3つを持ちます。
B.すべての円を、「共通の中心」(右上の図の、立方体の中心common center)に動かせば、「立体の」ボールを描くことができます。
一般的なものを描いてみましょう。
各面のアウトラインの形状は非常に異なっていることもあります。しかし、中心に動かせば固体となります。
なので、絵を描くときは常に、描くものの外側の輪郭(エッジ)と同じように中心の輪郭(コンツアー)も「感じ取る」必要があります。アウトラインだけでも立体であることを認識できますから、それらがどのように交わるかに目を凝らしましょう。
これは、あなたが描くことになったものについてすべて考えて、すべての形態を本当に知ることができるようになるまで簡単ではないでしょう。
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マネキンの人体
これまで、物体や人体の立体を描くときの単純化に使える一般的なフレームワークを学んできました。もし人体を描く時毎回この手順を踏むなら、これらは退屈で余分なものでしょう。アーティストはポーズやアクションの下の構造(服の下に隠れていたり、モデルを使って描いてたり)を描けるラフやスケッチを求めることでしょう。実際の人体を示すダイレクトでクイックな、説明できる方法を持つべきです。次からのページで説明される人体のセットアップで基本的に十分です。正しく修めれば、常により完成した絵にできることでしょう。マネキンの人体を描く時、実際の筋肉やその表層への影響についてそこまで重きをおいて考えなくてもいいです。これらのマネキンはlay figure(お絵描き用の木の人体模型)のように、体や重心のだいたいの比率、や関節を認識するために使いましょう。
マネキンはここでは2つの目的のためにあります。これらのマネキンを使うことにより、生徒の皆さんが実際の生身のモデルで描き始めたころよりも上手に人体をセットアップし、それらのパーツの動きを「感じ取れる」ようになれると信じています。これらはラフやスケッチのためだけでなく、現実に即した人体の描き方への理想的なアプローチでもあります。フレームとマスから描き始めれば、あとでそれを実際の骨と筋肉に落とし込むことができます。それにより、筋肉の位置や機能、それらの表面への現れがより簡単につかめます。私は、体積と重さと動きのある物体としての比率より先に解剖学を学ぶのは、馬の前に馬車をつけるようなものだという意見に賛成のひとです。なぜその人体のその場所を占めているのか、そしてどのように動くのかを理解せずに筋肉をを正しく描くことはできません。
人体を変化しうる光景または三つの次元を持つものだと考えてみましょう。それはとてもよく動くフレームワークによってささえられた質量を持ちます。筋肉の質量と体積はフレームに従います。その質量の幾分かは互いに密に接着し、また骨の構造に付着しています。そして他のはいっぱいに厚く表面に動きとして現れます。
解剖学について学んだことがないなら、筋肉が自然とグループやかたまりに分かれて一定にフレームに付着していることを知らないことでしょう。ここではその物理的な詳細には触れませんが、しかし最低でもそれら筋肉はお互いに結びつていると考えてください。したがってこの本の図のマネキンは実際の人間の体にとても近くなっています。胸郭は卵形で、考えられている程度には虚ろです。筋肉は胸を横切って背骨へと伸びていっています。その上から、正面には、肩の筋肉が横たわっています。臀部は背中の半分後ろのお尻からななめに来て、どちらかというと四角い形に終わります。Vの形が中心の折り目の斜め上にできます。ここには実際にV字の形の骨があり、ふたつの骨盤のあいだを分けて背骨をささえています。胸部はふたつの左右のパーツによってお尻の上に乗っています。うしろでは太ももとふくらはぎがわかれ、正面ではかかとにいたる膨らみが見えます。
このマネキンの描き方を学んでください。詳細な解剖学的認識よりずっと使うことになることでしょう。体積とフレームのプロポーションを扱うので、パースペクティブも一緒に取り扱います。レイアウトやラフに毎回モデルを雇えるアーティストなんていません。さらに準備的なラフを経ないでは最終的な完成に至ることもできないでしょう。もしアート製作者がこのようなマネキン図を用いて正しく描いたら、すべての人体を同じ底面においてもページから頭がはみ出ることはないでしょう。
3-7のメートリアンvsハルベルト戦について
これはゆらぎの神話・アリュージョニスト・アリスピ Advent Calendar 2016の記事です。
アリュージョニストのなかでも特に最高の戦いと名高いvs白きメートリアン戦。これについてやっぱり語りたいので私なりに書きます。オタク語りです。
あわせてみずでらさんのこちらも是非読んでどうぞ。ミルーニャはいいぞ。
続きを読む「コンスタンティン」感想
Bランク。キアヌ・リーブスの演技とか、一部の演出に見どころがあるのと、原作に興味をもたせるという意味でまあかろうじて…
前評判で、スタイリッシュとかかっこいいとか聞いていたので期待度が高かったのですが。
一言で言うなら、スタッフのこだわりポイントが見えてきませんでした。登場人物に感情移入させたいわけでもなく、スタイリッシュなアクションや聖なる武器のギミックを魅せるわけでもなく。聖書的なアリュージョンに関してもそこまででしたし、ストーリーも引き込まれるかというとむしろありがちな展開で・・・
偶然によって活躍するけど自分の意志に依る行動は足を引っ張る結果になる女キャラ。。。
— エムフネ (@MFune2005) 2016年12月10日
これとかね。
あと一応、エンドロール後にもちょっとシーンがありますね
WIREDの記事が絶賛してたけどまああれは・・・
実写版キャシャーン感想
ファーゴ感想…
Cランク映画。
この映画はノンフィクションです(大嘘)
フィクションだって最後の最後にちらっと書かれてます。
緊張感のあるパッケージとは裏腹に、ぐだぐだとした展開が続き、ついには面白みもなんともない終わり方…
サスペンス映画の弛緩した部分と、コメディ映画のネタに入る前の部分がずっと続くような映画。リアリティも驚きもないです。
まず、冒頭から時間の進め方がイマイチで、刑事が登場するのが三十分以上経ってから。人物にも魅力がなく、展開や見せ方にも魅力が感じられません。しまりのない映画でした・・・
トゥルーマン・ショー感想
(たぶんネタバレが含まれるかもしれないです。でも実際に観てもらうのが一番だと思います・・・)
・Sランク映画
アマプラで気になってた映画。ジャンルはヒューマンドラマ、かつサスペンスでもある。見終わった後の脳の高揚感がまだ残ってる…
主人公のトゥルーマン(名前)は、小さな街に住む保険会社の平凡な職員。しかし、彼の人生はテレビ番組のショーだった。彼自身は知らないが、友人、母親、妻、同僚も含め周りは全員エキストラで、建物から街全体がハリウッドに出来たセットで、天気も空も作り物。五千を超えるカメラが彼を二十四時間撮影し、常にスタジオから全世界へ生放送されている。彼が生まれた瞬間からずっと・・・
この映画の凄い所は、観る人をこの映画の中の「トゥルーマン・ショー」を観る人に重ねたり、はたまた映画全体を俯瞰させたりする主人公との距離感、空気感。そして絶妙に作られた世界の危うさのサスペンス。そしてヒューマンドラマとしてのカタルシス、感動。
この映画は大きく2つの部分に別れます。前半の、主人公が世界そのものに疑惑を持つようになっていくパート。そして、撮影セットや放送局全体の描写がされ、主人公が世界そのものに抗う後半パート。
前半、主人公のいつもの日常。しかし「あれ?」と思う部分も。絶妙に調整されて視聴者(=私達含む)しか気づかないようになっているけど。エキストラ同士で連絡を取り合い、ラジオから交通まで、主人公のために完璧に調整されている様子が背筋が冷たくなる感じ。
しかし、いくつかのミスが重なり、疑惑を持ってしまう。さらに、トゥルーマンが学生時代の友人(役)のなかに、彼を浜辺に連れ出してこの世界が作り物だと告白してしまう人もいたのだ。彼女は急遽やってきた父親(役)に連れていかれるのだが、その間際に父親(役)は怪しまれないようにとこう言う「彼女は統合失調症で、こういう問題を繰り返しているんだ」と…
はい。映画のあらすじ見たらわかりますが、この映画「統合失調症の妄想を具現化した」とも言われています。「自分が監視されている」「集団ストーカーにあっている」というのは統合失調症の妄想の典型的な例の1つです。
以前、ニコニコ動画で統合失調症の人が自ら上げてる動画が話題になったりしましたが、自分はそれらを観ました。そして物語中盤の彼の行動が、まさに患者の行動あまりにもそのまますぎて恐ろしくなってきます。異常に思えないモノ(実際は異常)が異常に見える…私達視聴者は彼の疑念が真実だとわかってます。しかし、じゃあ現実の統合失調症の人の見ている世界は…?
そして後半。大規模なセットやスタジオ、制作スタッフが登場します。視聴者たちも(トルーマンと書かれたシャツを着てる日本人もいる❗)ここからよく出てきます。主人公がかつて父親を失ったのも水や海に恐怖を持たせるため。そこらじゅうに貼られたポスターやテレビは彼へのメッセージ。
しかし主人公は周囲を島の外へ行きたいと思うようになります。主人公に疑惑も持たれず、島の外へ出さないようにと様々な工夫をこらすエキストラたち(住人)と番組スタッフ。
そして物語は急展開を向かえる。「脱出」を試みる主人公と、全力で阻止しようとするスタッフ達。固唾を呑んで見守る視聴者。自由のための戦い、恐怖の克服。そしてあまりに幻想的な「終端」へ至る・・・
最後の最後は爽やかな感動へ。彼のその後は描かれない。だって、番組は終わってしまったのだから・・・。視聴者の一人が番組表を見て次の番組はなんだ、と言っておわり。
サスペンス的な恐ろしさとヒューマンドラマの感動が合わさった傑作でした。「一本の映画」として深く残る仕上がり。
(作中で、テレビ放送なのでちょくちょくあからさまな商品紹介的なことを登場人物たちが行うのですが、そういえば岩倉の統合失調症の人への嫌がらせでそんなんあったなーと…)